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小出義雄監督の経歴や家族は?死因と病歴についても

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女子マラソンの高橋尚子さんや有森裕子さんらを育てた名監督・小出義雄さんが80歳で亡くなられました。

小出監督は、3月末に指導者として一線を退くと発表したばかりでしたので、突然の訃報に驚きの声が上がっています。

一流選手を何人も育て上げた功績はとても素晴らしいものでした。

そして、残された家族や死因、病歴についても気になると思います。

この記事を読めば小出義雄監督の気になる事が全て分かりますので、最後まで読み進めてみて下さい。

プロフィール

◆名前:小出義雄(こいで・よしお)

◆生年月日:1939年4月15日

◆出身地:千葉県佐倉市

◆没年月日:2019年4月24日(80歳没)

小出監督は千葉県立山武農業高校卒業後、家業の農業の仕事をしていましたが、陸上競技への熱い想いが忘れられずに22歳で順天堂大学体育学部に入学しました。

がむしゃらに練習を行い、箱根駅伝にはなんと3年連続出場しています。

●第38回大会(1年時)5区10位 順天堂大10位

●第39回大会(2年時)8区03位 順天堂大05位

●第40回大会(3年時)8区05位 順天堂大05位

●第41回大会(4年時)不出場   順天堂大05位

選手としても非凡な才能を見せていた小出監督は、大学卒業後、保健体育教師となり千葉県の公立高校に勤務しました。

指導功績

●1968年 県立長生高校赴任時には、元三井住友海上の陸上部監督として渋井陽子選手や土佐礼子選手らを育てた鈴木秀夫さんを指導しています。

●1984年 船橋市立船橋高校赴任時には、ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダリストで、現在、スポーツ庁長官の鈴木大地さんに体育を指導しました。

●1986年 第37回全国高校駅伝で市立船橋高校を優勝に導きました(当時高校最高記録 2時間6分30秒)

 

●1988年 教職を辞してリクルート・ランニングクラブ監督に就任。

主な教え子

◆有森裕子(1992年バルセロナ五輪 マラソン銀メダル・1996年アトランタ五輪 マラソン銅メダル)

◆五十嵐美紀(1992年バルセロナ五輪 10000m 14位)

◆志水見千子(1996年アトランタ五輪 5000m 4位)

◆鈴木博美(1997年アテネ世界陸上 マラソン金メダル)

●1997年 積水化学工業 女子陸上競技部に就任。

主な教え子

◆高橋尚子(2000年シドニー五輪 マラソン金メダル)

高橋尚子さんは女子マラソンの元世界記録保持者で女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞しています。

●2001年 佐倉アスリート倶楽部を設立し、代表取締役兼現場監督に就任。

主な教え子

◆千葉真子(2003年パリ世界陸上 マラソ銅メダル)

小出監督は有森裕子さんや高橋尚子さんのようなオリンピックメダリストを数多く育てました。

日本陸上競技連盟の瀬古俊彦さんも「選手を私ってこんなに力がある。まだまだやれる。世界一になれるという思いにさせ、選手と一緒になって楽しいマラソンをしていた」と小出監督の功績を称えています。

小出義雄さんの家族もマラソン選手だった!

小出監督は長尾高校陸上部時代の教え子の啓子(けいこ)さんと1971年に結婚し、3人の娘さんをもうけています。

啓子夫人が20歳の頃に結婚していますので、最初は先生と生徒の時からお付き合いをしていたかもしれませんね。

そんな啓子さんも2001年東京国際女子マラソンでは9位という好成績を残しています。


また啓子さんは本まで出版していました。

「爆走!小出家の人々 夫の夢の支え方、妻への愛のそそぎ方」というタイトルです。

小出監督の陸上指導者としての経歴を軸に小出家のことを面白おかしく書いてあるノンフィクション本になっています。

3人の娘さんの内、次女の正子(まさこ)さんも陸上長距離選手で中央大学から積水化学工業 女子陸上部に進んでいます。

2001年にはロッテルダムマラソンに出場し、2時間28分28秒という好タイムで2位入賞を果たしました。

元陸上選手で前ハーフマラソン日本記録保持者の高橋健一さんと結婚後、引退し、現在は佐倉アスリート倶楽部のスタッフとして後進の指導にあたっています。


5人家族の内、3人が陸上長距離選手とはまさにマラソン一家ですね。

小出義雄さんの死因や病歴は?

小出監督は4月24日午前8時5分、千葉県の病院で亡くなりましたが、死因は肺炎でした。

指導者を引退した3月下旬に心臓の具合が悪化して倒れ、ずっと入院していたそうです。

小出監督は大のお酒好きで心臓にもかなりの負担が掛かっていました。

2015年夏(当時76歳)のアメリカ合宿中に心臓の病気で緊急手術をし、ペースメーカーを入れていたのです。

晩年は医者から大好きな飲酒を止められる程、症状が悪化していたいう話もあります。

ネットでは小出義雄さんを惜しむ声が・・・

小出義雄さんの教え子だった鈴木大地スポーツ庁長官も投稿しています。

陸上界への功績が大きかっただけに惜しむ声が止まらない状況です。

まとめ

平成という時代を駆け抜けた小出監督は、時代の終わりを待たずに去って行ってしまいました。

教え子の有森裕子さんは「思い出は数え切れない。正直、唐突かなという形ではなく、何回か倒れたり、入院したりという話は聞いていました。ああいう体調で監督らしく、よく頑張ったなと思う」と発言しています。

晩年は体調が悪化していたにも関わらず、周りには全くそういう素振りを見せなかったんですね。

明るく豪快に人生を楽しまれた小出義雄さんに謹んでお悔やみ申し上げます。