話題の人物

【関根潤三】逝去 元祖・二刀流の経歴が凄い!伝説、名言をまとめてみた

スポンサードリンク

プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが老衰のため、93歳で亡くなられました。

 

あまり知られていませんが、現役時代は元祖・二刀流として大谷翔平選手以上の活躍をした名選手だったのです。

 

そんな関根潤三さんの華々しい経歴や野球にまつわる伝説、名言についてまとめてみました。

 

 

◆名前:関根 潤三(せきね じゅんぞう)

◆生年月日:1927年3月15日

◆没年月日:2920年4月9日(93歳没)

◆身長:173cm

◆体重:65kg

◆投球・打席:左投左打

◆ポジション:投手、外野手

 

 

関根潤三さんは法政大学卒業後の1950年に近鉄に入団しました。

 

1951年と1953年に開幕投手を務めるなど、エースとして大車輪の活躍をします。

 

しかし、プロ入りした年に早くも肩を壊したのが原因で、投手人生はたった8年で終わりを迎えました。

 

 

その後、野手に転向し、クリーンナップとして活躍するようになります。

 

1965年に巨人に移籍してリーグ優勝、日本シリーズ優勝に貢献した後、16年の選手生活にピリオドを打ちました。

 

 

史上初めて、投手、野手の両方でオールスターに出場した為、元祖・二刀流と言われているのです。

 

2013年に野手として、2014年に投手としてオールスターに出場した大谷翔平選手が2人目になります。

 

主な成績

投手(通算8年)

◆65勝94敗

◆奪三振:645個

◆防御率:3.43

 

打者(通算16年)

◆安打数:1137本

◆打率:2割7分9厘

◆本塁打数:59本

 

通算50勝、1000本安打の達成は2リーグ制以降、唯一の快挙として称えられています。

 

◆オールスター出場:5回

 

◆野球殿堂競技者表彰(2003年)

 

 

現役引退後の活躍も目覚ましかった!

関根潤三さんは現役引退後、ニッポン放送の解説者を経て広島の一軍打撃コーチに就任しました。

 

そして山本浩二、衣笠祥雄、三村俊之らを育て、後の広島黄金時代の礎を築いたと言われています。

 

教え子の山本浩二さんは次のように語っています。

 

 

大変お世話になった人。優勝の基礎を築いてくれた。

厳しく鍛えられたおかげで、その後の成績が上がった。

優しい顔をして怖い人。

人柄は優しい。でも指導になると厳しかった。

 

広島退団後は長嶋茂雄監督の元、巨人のヘッドコーチに就任しました。

 

 

監督時代

◆大洋(1982年~1984年)

長嶋監督が実現したら交代する」との条件で監督に就任。

 

屋敷要、高木豊らの若手選手の育成に尽力しました。

 

 

◆ヤクルト(1987年~1989年)

 

池山隆寛、広沢克己、栗山英樹、内藤尚行、荒木大輔らを起用しながら育成し、後任の野村克也監督にバトンタッチしました。

 

 

その後は主に解説者として活躍しましたが、優しい口調で分かり易いと評判でした。

 

 

関根潤三の伝説・名言

●広島コーチ時代

門限を破り、午前2時に泥酔して尞に帰ってきた衣笠選手が反抗的な目をしていた為、朝まで素振りをさせた

 

●ヤクルト監督時代

マウンドで投手に対し笑顔で「ここで打たれたら怒るよ」といいながらスパイクの刃で足を踏みつけた

 

●解説者時代

 

一見、穏やかな性格のように見えましたが、実は「言葉よりは先に手が出る」熱血漢だったようです。

 

人は見かけによりませんね・・・

 

 

ツイッターの声

教え子だった高木豊さんも悲しみのツイートを上げています。

まとめ

プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが、老衰のため93歳で亡くなられ悲しみの輪が広がっています。

 

現役時代は元祖・二刀流として通算50勝、1000本安打の両方を唯一達成した伝説の選手でした。

 

コーチ、監督として若手の育成に尽力し、数々の名選手を育て上げた手腕は高く評価されています。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。