話題の人物

服部克久【作曲家】逝去 経歴や家族が凄い!記念樹事件についても

スポンサードリンク

日本を代表する作曲家の服部克久さんが、83歳で亡くなったことが発表され、悲しみが広がっています。

 

国民栄誉賞を受賞した作曲家の服部良一さんの長男で、「ザ・ベストテン」、「ミュージックフェア」、「トムソーヤの冒険」など、様々な音楽を作曲しました。

 

父親の良一さんを始め、華麗なる「音楽一家」としても有名ですね。

 

また、作曲家の小林亜星さんと裁判沙汰になった「記念樹事件」についてもまとめてみました。

 

◆名前:服部 克久(はっとり かつひさ)

◆生年月日:1936年11月1日

◆没年月日:2020年6月11日 (83歳没)

◆出身地:東京都

◆最終学歴:パリ国立高等音楽院卒業

◆職業:作曲家、編曲家

 

服部克久さんは、1958年にパリ国立高等音楽院を卒業し、帰国後すぐ、戦後の復興後のテレビ放送の創世期より作曲活動を始めました。

 

今までにテレビ、ラジオ、ドラマ、アニメ、映画などの音楽を数多く作曲(編曲)しています。

 

そして、1971年にはダーク・ダックスの「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞しました。

 

 

また、1983年より「音楽の自然曲」をテーマとしたインストゥルメンタル集「音楽畑」シリーズをスタートし、2回も日本レコード大賞企画賞を受賞しています。

 

 

直近では日本作編曲家協会会長、日本音楽家ユニオン特別顧問、東京音楽大学客員教授などを務め、後進の育成に尽力されていました。

 

 

主な作品たち

■歌謡曲

●砂の少女/夜霧の鐘(小林旭・1979年)

●すごい男の唄(三好鉄生・1987年)

●花束~ブーケ~(八代亜紀・1989年)

 

■アニメ

●トム・ソーヤの冒険(1980年)

●劇場版 世紀末救世主伝説 北斗の拳(1986年)

●家なき子レミ(1996年)

●星界の紋章(1999年)

 

■ドラマ

●光速エスパー(1967年)

●兄弟刑事(1977年)

●わかば(2004年~2005年)

 

■ドラマ

●「日曜特集・新世界紀行」テーマ曲「自由の大地」

●「ザ・ベストテン」テーマ曲

●「クイズ100人に聞きました」テーマ曲

●「あっぱれさんま大先生」エンディングテーマ「記念樹」

 

■映画

●リオの若大将(1968年)

●花の高2トリオ 初恋時代(1975年)

●連合艦隊(1981年)

●長江(1981年)

 

■その他

●福島・新潟競馬場ファンファーレ

 

 

家族も凄かった!

服部家は、華麗なる「音楽一家」としても有名です。

 

父親・服部 良一(はっとり りょういち)

 

 

 

 

 

 

◆生年月日:1907年10月1日

◆没年月日:1993年1月30日 (85歳没)

◆出身地:大阪府大阪市

◆職業:作曲家

 

服部良一さんは、作曲家として淡谷のりこさんの「別れのブルース」など、数多くの楽曲を作りました。

 

1993年に国民栄誉賞が授与されています。

 

 

子供・服部 隆之(はっとり たかゆき)

 

 

 

 

 

 

◆生年月日:1965年11月21日 54歳(2020年6月現在)

◆出身地:東京都

◆最終学歴:パリ国立高等音楽院卒業

◆職業:作曲家、編曲家

 

服部隆之さんも同じ作曲家、編曲家として活動しています。

 

今迄に2回も「日本アカデミー賞優秀音楽賞」を受賞している実力者なのです。

●1996年「蔵」

●1998年「ラジオの時間」、「誘拐」

 

 

孫・服部 百音(はっとり もね)

 

 

 

 

 

 

 

◆生年月日:1999年9月14日 20歳(2020年6月現在)

◆出身地:東京都

◆学歴:ザハール・ブロン・アカデミー(スイス)在籍中

◆職業:バイオリニスト

 

2015年、ボリス・ゴールドシュタイン国際ヴァイオリン・コンクール(スイス)でグランプリを受賞しています。

 

そして、2016年10月にはCDデビューも果たし、今後の更なる活躍が期待されるホープです。

 

 

 

また、弟の良次さんは音楽家ではありませんが、俳優として活躍しています。

 

 

記念樹事件とは?

服部克久さんは1992年、明石家さんまさんが司会を務めたバラエティ番組「あっぱれさんま大先生」のエンディングテーマ曲「記念樹」を作曲しました。

 

 

しかし、作曲家の小林亜星さんが「記念樹」は、自身が作曲した「どこまでも行こう」の盗作で、著作権を侵害していると主張し、服部克久さんに対して損害賠償を請求する訴訟を起こしたのです。

 

 

第一審は服部克久さん側が勝訴しました。

 

この判決を不服とした小林亜星さん側が控訴し、控訴審は一転して小林亜星さん側の主張を認めたのです。

 

控訴審の判決を受けて服部克久さん側は上告しましたが、最高裁は上告不受理を決定し、「記念樹」の作曲が著作権法違反にあたるとの判決を下しました。

 

 

そして、テレビ会社、音楽会社などに合計2300万円の損害賠償が命じられたのです。

 

この一連の事件が「記念樹事件」と呼ばれ、著作権に一石を投じた裁判として一躍有名になりました。

 

 

ツイッターの声

 

皆さん、思い出の1曲に想いを馳せていますね。

まとめ

日本を代表する作曲家の服部克久さんが、83歳で亡くなったことが発表され悲しみが広がっています。

 

テレビの創世期から、数多くの名曲を作曲したレジェンドでした。

 

数々の名曲は、これからも私達の心の中で生き続けることでしょう。

 

心よりご冥福をお祈り致します。