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田畑精一【絵本作家】逝去 経歴や代表作は?古田足日との関係についても

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絵本作家の田畑精一さんが老衰のため89歳で亡くなられたことが発表され、悲しみの輪が広がっています。

 

1974年に児童文学者の古田足日さんと一緒に刊行した「おしいれのぼうけん」は230万部の大ヒットとなりました。

 

田畑精一さんの経歴や代表作が気になりますね。

 

また古田足日さんとの関係についても詳しく調べてみました。

 

◆名前:田畑 精一(たばた せいいち)

◆生年月日:1931年3月30日

◆没年月日:2020年6月7日 89歳没

◆出身地:大阪府

◆職業:絵本作家、挿絵画家

 

田畑精一さんは、1931年に大阪府で生まれ、芦屋市で育ちました。

 

子供の頃から絵を描くのが得意で、高校時代には美術部の部長を務めています。

 

原子物理学に興味を持ち京都大学理学部に進学しましたが、人形劇に関心が移り、大学を中退して人形劇団ブークに参加しました。

 

その後は、22歳の秋から約10年間、「人形座」に参加し、主に美術を担当しています。

 

 

大学在学中に朝鮮戦争が勃発した経験から、ご自身の事を「軍国少年」と呼ばれ、平和への想いがとても強い方でした。

 

 

古田足日との関係は?

田畑精一さんと児童文学者の古田足日さんは、どのような関係だったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古田 足日(ふるた たるひ)

◆生年月日:1927年11月29日

◆没年月日:2014年6月8日 86歳没

◆出身地:愛媛県

◆最終学歴:早稲田大学露文科中退

◆職業:児童文学者

 

田畑精一さんは結婚後に、東京都豊島区椎名町のアパートの2階に住んでいましたが、1960年に古田足日さんがそのアパートの1階に引っ越して来たことから、ご近所付き合いが始まりました。

 

その後、親交を深め古田足日さんが書いた絵本「くいしんぼうのロボット」の挿絵を田畑精一さんが描いたのが、初めての共作になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、1974年に共作した「おしいれのぼうけん」は230万部のロングセラーになりました。

 

 

 

 

 

 

 

おしいれのぼうけん (絵本・ぼくたちこどもだ) [ 古田足日 ]

 

「おしいれのぼうけん」のモデルは、田畑精一さんと古田足日さんが住んでいたアパートの近くにある東久留米市の「ひばり保育園」だと言われています。

 

その後も2人は合計6冊の本を共作し、子供たちに大きな夢を与えました。

 

そして、古田足日さんは2014年6月8日に心不全の為、86歳で亡くなっています。

 

今回、田畑精一さんが亡くなったのが6月7日ですからなんと、1日違いだったのです。

 

 

東京都豊島区椎名町のアパートも1階と2階でしたが、何かとご縁のあるお2人だったと思わずにはおれません。

 

田畑精一の代表作が凄い!

田畑精一さんは、他にも数々の名作を残されています。

 

■さっちゃんのまほうのて

 

 

 

 

 

 

 

さっちゃんのまほうのて [ 田畑精一 ]

 

先天性四肢障害児父母の会からの依頼で共同制作した絵本で、65万部のロングセラーとなっています。

 

1985年には「赤い靴 児童文化大賞」を受賞している名作です。

 

 

■ダンプえんちょうやっつけた

 

 

 

 

 

 

 

ダンプえんちょうやっつけた (絵本・ぼくたちこどもだ) [ 古田足日 ]

◆内容

わらしこ保育園の園長は、ダンプみたいな男の人。子供たちは海賊ごっこで園長を倒そうとします。

 

 

■ひ・み・つ

 

 

 

 

 

 

 

ひ・み・つ (たばたせいいちの絵本) [ 田畑精一 ]

◆内容

ゆうきは、おばあちゃんの大切な≪ひみつ=願い≫のために、一生懸命がんばります。そして・・・。

 

ツイッターの声

 

皆さん、田畑精一さんの絵本を子供の頃から大切に読んでいますね。

 

まとめ

絵本作家の田畑精一さんが老衰のため89歳で亡くなられたことが発表され、悲しみの輪が広がっています。

 

児童文学者の古田足日さんと一緒に刊行した「おしいれのぼうけん」は230万部の大ヒットとなりましたが、2人は同じアパートの1階と2階に住むご近所さんでした。

 

発刊から何十年経っても色褪せない名作は、これからも私達の心の中に生き続けることでしょう。