
元阪神のエースとして活躍したマット・キーオさんが64歳で亡くなったことが発表され、野球ファンに衝撃が走っています。
阪神の低迷期を支えた名助っ人で、孤軍奮闘ぶりを覚えているファンも多いことでしょう。
名助っ人の日米での経歴や成績が気になりますね。
また、同じプロ野球選手として日本でプレーした父親についても調べてみました。
マット・キーオの経歴や成績は?
◆名前:マシュー・ロン・キーオ
◆生年月日:1995年7月3日
◆没年月日:2020年5月1日(64歳没)
◆出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州
◆身長:190cm
◆体重:86kg
◆投球・打席:右投右打
◆ポジション:投手
マット・キーオ選手は1973年、ドラフト7巡目でアスレチックスに内野手として入団しました。
マイナー時代に投手としての才能を見いだされ、1976年にコンバート後、翌1977年にメジャー昇格しています。
ルーキーイヤーは打線の援護がなく、8勝15敗 防御率3.24の成績に終わりました。
1979年は開幕から14連敗を喫し2勝17敗の成績で、前年から続く28先発連続勝利なしのMLB記録を作っています。
しかし、1980年には自己最多の16勝(13敗)を上げ、カムバック賞を受賞しました。
その後の成績は低迷し、移籍をく繰り返したのです。
■アスレッチックス(1978-1983)
■ヤンキース(1983)
■カージナルス(1985)
■カブス(1986)
■アストロズ(1986)
そして、1987年に阪神タイガースに入団しました。
オープン戦で好成績を残し、入団1年目でいきなり開幕投手を務め、11勝を挙げるなど名実ともに阪神のエースとして活躍したのです。
打線の援護には恵まれませんでしたが、カーブを武器に孤軍奮闘し、3年連続2桁勝利を上げています。
特に東京ドームでの巨人戦に強く、先日も中畑清さんから現役時代に苦戦した投手として名前を挙げられたばかりでした・・・
中畑清氏が(中略)現役時代に苦戦した投手として阪神のマット・キーオ氏の名前を挙げた。番組では(中略)日本球界で特異な「変化球」を駆使した投手を特集。中畑氏は「私と原監督が苦労したマット・キーオというピッチャーが投げたナックルカーブ」と振り返った
本文より https://t.co/kw9hMeKwPO— いとげ (@BunguShopBoys) May 3, 2020
1989年には自己最多の15勝を挙げましたが、翌年のオープン戦登板中に足を故障したこともあり、自由契約になりました。
NPB通算成績:45勝44敗0セーブ 防御率3.73
阪神退団後はメジャーリーグ復帰を目指しましたが、オープン戦で頭に打球を受け緊急手術した影響もあり、復帰は叶いませんでした。
マット・キーオの父親もプロ野球選手だった?
実はマット・キーオ選手の父親・マーティ・キーオさんも元プロ野球選手で1968年にNPBでプレーしています。

◆名前:リチャード・マーティン・キーオ
◆生年月日:1934年4月14日 86歳(2020年5月現在)
◆出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州
◆身長:182cm
◆体重:81kg
◆投球・打席:左投左打
◆ポジション:外野手、一塁手
マーティ・キーオさんは1956年にレッドソックスに外野手として入団しました。
1968年に当時の鶴岡一人監督に請われて南海ホークスに入団し、一塁手として活躍しているのです。
NPB通算成績:450打数104安打 17本塁打 46打点 打率:2割3分1厘
息子のマット・キーオ選手も2本、ホームランを打っている為、NPB史上4組目の親子本塁打達成者として知られています。
当時13歳だったキーオ少年は「ひょっこりひょうたん島」をよく見ており、特にドン・ガバチョが好きだったそうです。
ツイッターの声
元阪神マット・キーオ死去。1978年アスレチックス時代新人で球宴出場。80年自己最多16勝でカムバック賞。元南海の父マーティと同じく日本球界入り。87〜90年阪神に在籍し3年連続2桁勝利と活躍。92年メジャー復帰を図ったオープン戦で頭部に打球直撃重体事故で九死に一生を得たのに悲しい。
— 福島良一 (@YoshFukushima) May 3, 2020
1987年4月15日、阪神の新外国人のマット・キーオが横浜スタジアムでの対大洋2回戦に先発し、2失点で完投し来日初勝利。初回に5点の援護点。5-2とリードの9回裏2死一、二塁のピンチに代打・堀場秀孝を「最後は、一番速い球で決めたかったのさ」とこの試合116球目、146㌔の速球で空振り三振。日刊87.4.16 pic.twitter.com/nyExfvVk8J
— 振り逃げ満塁ホームラン (@furinige2013) May 3, 2020
元阪神のエースとして活躍した
マット・キーオが急逝されたと…タイガース打線が物凄い貧打の頃に3年連続二桁勝利を記録して、4年間で45勝をあげたのは立派。
ノビのあるストレートにブレーキの効いたカーブの組み合わせは多くのオールドファンの脳裏に焼き付いてるのでは? pic.twitter.com/rL4PG9GDd9
— k a z u m a (@kazutan__1220) May 3, 2020
皆さん、孤軍奮闘したマット・キーオ選手のことをよく覚えていますね。
まとめ
元阪神のエースとして活躍したマット・キーオさんが64歳で亡くなったことが発表され、野球ファンに悲しみの輪が広がっています。
今回、死因は公表されていませんが、重度のアルコール中毒だった為、お酒が関係している可能性も考えられます。
心よりご冥福をお祈り致します。