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【C・W・ニコル】逝去 CMや著作で有名だった!嫁や娘についても

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環境保護活動家・作家のC・W・ニコルさんが直腸ガンで亡くなられ大きな悲しみが広がっています。

 

色々な活動をされていましたが、テレビCMや著作のイメージがとても強い方でした。

 

また、残された家族(嫁・娘)についても調べてみました。

 

◆名前:サー・クライブ・ウィリアム・ニコル

◆生年月日:1940年7月17日

◆死没:2020年4月3日(79歳没)

◆国籍:イギリス→カナダ→日本

◆職業:小説家、環境保護活動家、音楽家

 

イギリスのウェールズで生まれたC・W・ニコルさんは1962年、空手修行の為に来日しました。

 

最近のイメージとは全く違いますが、イギリスでは「Nic Devito」というリングネームでプロレスラーをして

いたり、ローリング・ストーンズの用心棒をするなど格闘家としての一面も持ち合わせていたのです。

 

 

1980年から長野県黒姫高原の荒れ果てた里山を購入し、「アファンの森」と名付けて間伐や除草などによる森の再生活動を始めました。

 

2016年には公務で、「アファンの森」の訪れた明仁天皇と美智子皇后の散策の案内役を務めています。

 

 

 

また、2枚のアルバムを出したり、NHK「みんなのうた」に楽曲提供するなど音楽家としても活動していました。

 

 

自ら「ウェールズ系日本人」と名乗り、「日本人より日本人らしい」と言われていたのです。

 

1995年には念願だった日本国籍を取得しています。

 

 

C・W・ニコルのCMや著作は?

環境保護活動家として精力的に活動していたC・W・ニコルさんですが、テレビCMのイメージが強い人が多いのではないでしょうか?

 

中でも一番有名なCMは、1990年代に出演していた「G.Tホーキンス」です。

 

ホーキンスと暮らしています」という名言もありましたね。

 

 

 

 

 

また、倉本蒼さんと出演していた「日本ハム」のCMも有名でした。

 

お中元やお歳暮の時期になると、よくC・W・ニコルさんのテレビCMが流れていたのを思い出します。

 

 

 

そして、1980年代にはニッカウイスキーの「スーパーニッカ」のテレビCMにも出演していました。

 

 

C・W・ニコルの主要著作

C・W・ニコルさんは小説家として数多くの著作を残されました。

◆風を見た少年

C・W・ニコルさんが初めて日本語で書いた長編ファンタジー作品です。

 

■あらすじ

新黄金龍帝国の独裁者・ブラニックに制圧されたハンベルの町に住む、物理学者・フリッツ博士の息子・アモンは、不思議な力を持っていた。

だが、ブラニックはそれを軍事利用しようとアモンの両親を殺害し、アモンも空飛ぶ戦艦に幽閉されてしまう。

アモンは内なる声で脱出に成功して逃避行の旅に出る。

 

 

 

◆勇魚(いさな)

 

■あらすじ

紀州・太地(たいじ)は鯨取りの村。筆頭刃刺・達太夫の長男甚助は、初めての鼻切りを成功させて意気揚揚としていた。

そんなある日、紀州藩士・松平定頼が太地を訪れた。

日本の将来を案じ、海防の要を説く定頼は、熊野海賊の末裔で、組織だった捕鯨を行う太地の鯨取りたちを沿岸警備軍の中核に据え

ようと考えていたのだった。

 

 

C・W・ニコルの嫁や娘は?

C・W・ニコルさんは、日本大学で日本語や水産学を学んでいた時に日本人女性と最初の結婚をして、3人の娘さんをもうけた後に離婚しています。

 

その後、1980年に日本画家・音楽家のニコル麻莉子さんと再婚しました。

 

 

ニコル麻莉子さんはシマノ工業社長・島野隆夫の次女で本名は「真理子」です。

 

テレビドラマ、ドキュメンタリーなどの数多くのテーマソング・挿入曲を作曲するなど音楽家として精力的に活動していました。

 

 

また、C・W・ニコルさんとニコル麻莉子さんの間には娘さん(ニコル亜莉紗)が1人生まれています。

 

 

 

 

現在34歳のニコル亜莉紗さんですが発達障害があり、うつ病を患っていました。

 

風俗店に勤務しながら生計を立てていましたが、2017年に薬物(覚○剤)で妊娠中に逮捕されています。

 

 

ツイッターの声

 

有名人からの悲しみのツイートが続いています。

 

まとめ

環境保護活動家・作家のC・W・ニコルさんが直腸ガンで亡くなられました。

 

多彩な活動をされていましたが、テレビCMの印象が強い方でもありましたね。

 

心よりお悔やみを申し上げます。

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