
「ゴダイゴ」のギタリスト・浅野孝己さんが68歳で亡くなられたことが発表され、悲しみの輪が広がっています。
浅野孝己さんは若干16歳でプロデビューし、日本のギターシンセサイザーの創始者と言われた方でした。
あまりにも突然の訃報に驚きを隠くせませんが、死因や病歴は何だったのでしょうか?
華麗なる経歴や今までの代表曲についてもまとめてみました。
浅野孝己の経歴が凄すぎる!
◆名前:浅野 孝己(あさの たかみ)
◆ニックネーム:浅野氏。
◆生年月日:1951年6月1日
◆没年月日:2020年5月12日(68歳没)
◆出身地:東京都豊島区
◆最終学歴:聖橋高校中退
◆職業:ギタリスト
浅野孝己さんは、小学校6年生の時にガット・ギターを購入し、中学に入ってからエレキ・ギターを始めました。
私立聖橋中学校に入学後、高等部に通う萩原健一さんと知り合い、萩原健一さんが所属していた「ザ・テンプターズ」がレギュラー出演していたディスコ等に出演するようになったのです。

そして、高校を中退してなんと若干16歳でプロのギタリストになりました。
その後、GS全盛時代だった1967年に「The M」に加入しています。
「The M」は大貫妙子さんの曲作りに影響を与えたと言われており、1972年には「THE M」というアルバムをリリースしました。

1973年の「The M」解散後はミッキー吉川さんに誘われ、1975年に「ゴダイゴ」に参加することになったのです。
ゴダイゴのヒット曲
■シングル
●ガンダーラ(1978年10月)ドラマ「西遊記」エンディングテーマ
ゴタイゴ最大のヒット曲となりました
●モンキーマジック(1978年12月)ドラマ「西遊記」オープニングテーマ
●ビューティフル・ネーム(1979年4月)国際児童年協賛歌
●銀河鉄道999(1979年7月)映画「銀河鉄道999」主題歌
●ホーリ&ブライト(1979年10月)ドラマ「西遊記Ⅱ」エンディングテーマ
そして、ゴダイゴはNHK紅白歌合戦に3回も出場しています。
●1979年(昭和54年):ビューティフル・ネーム
●1980年(昭和55年):ポートピア
●1999年(平成11年):ビューティフル・ネーム
浅野孝己さんの弟・良治さんも一時期、ゴダイゴのドラマーとして活動していました。
ゴダイゴは2回の解散を経て、2006年から再び活動を再開していたのです。
浅野孝己の死因や病歴は?
浅野孝己さんは5月12日の午前、東京都内の自宅から心肺停止の状態で救急搬送され、病院で死亡が確認されています。
所属事務所も「死亡時間や原因などについてはまだ確認できていない」と説明しているようです。
また、浅野孝己さんの持病についても今の所、情報はありませんが、浅野さんはふくよかな体型をされていたので、高血圧、心筋梗塞などの心臓系の疾患の可能性も考えられます。
新型コロナ関連の情報も出ていませんが、分かり次第、追記予定です。
ツイッターの声
これほど誤報であって欲しいと思ったことはない。
もう浅野さんのギターを聴けないなんて…
でも本当なんですね😢
浅野さんのギターが大好きでした。
浅野さんの優しいお人柄も大好きでした。
浅野さん、今までありがとうございました😢✨#浅野孝已 pic.twitter.com/CarUxn44Dd— Kiyo-chan (@Kiyochan6_3) May 12, 2020
浅野さんと言えばグレコのGO…改めましてお悔やみ申し上げます #浅野考巳さん追悼 pic.twitter.com/yGRGl6oGfv
— NONPー3(One or Eight) (@NONP33) May 12, 2020
ゴダイゴのギタリスト 浅野さんがお亡くなりになりました。
ゴダイゴには想い出がいっぱい。
もうこのメンバーが揃うことはないと思うと泣けてきますね😭
ご冥福をお祈りします… pic.twitter.com/rqIuV7S9tX— 沙羅(Sarah) (@spt_blue_meteor) May 12, 2020
皆さん、突然の訃報に驚きを隠せないでおられます。
まとめ
ゴダイゴのギタリスト・浅野孝己さんが68歳で亡くなられたことが発表され、悲しみの輪が広がっています。
ギターシンセサイザーを日本で最初にレコーディングに使用した、先駆者でもありました。
「ゴダイゴ」と並行して自らが主催するバンド「T.A.G.C.TOKYO」の活動もされていただけに、非常に残念です。
心よりご冥福をお祈り致します。